はきだめ

クソガキのなんかの記録

オセロー色々

はじめに

本を読んだり映像を見たりすると自分の考えがたとえ間違っていても人に聞いてほしい時ってないだろうか?(考えに大小あれど間違いはないとも思うのだが)それだ(?)もう私は今がその時なのだ、オセローを観劇するにあたってもう本を読み直さないと劇は楽しめないかもしれないというオタク的考えのもと本を読み直したら波のように押し寄せる「わかって欲しい」欲には勝てなかった…。

とかとかそんな感じで観劇まで、そして観劇後の私ことコロッケのオセロー記、よかったら読んでいって欲しい。

で、まあオタクは自分が持ってるオセロー(紛失中だが出版社はそれとなく覚えている)以外も読みたくなって図書館をはしごし、オセローを数冊借り、読んでみたりとかな、したんだよ、オタクだからな…(?)ここではあまり内容に触れずにザッッとした感想をのせたい。

 

1,白水社 小田島 雄志 訳『シェイクスピア全集』

私が前にツイッター「こんこんちき」「とんま」を訳に使うってどういうことよ?みたいなツイートをしたのだがそれがこの本だ。訳は古いので少々理解するのが面倒だしマジでイアーゴーが「こんこんちき」って言ってるところが読める。江戸っ子じゃあないんだぞお前は!まあそういう点では面白いかもしれないが私は好きじゃない(クズ)あと文字が結構小さいので普段本読まない人には地味にきついかもしれない。水色のハードカバーは手に馴染むし本読んでる〜!って感じもするのでそこは良い(完全にアホの意見)見た目はいい感じ、あとリア王も入ってるしお得(?)

 

2,新潮文庫 福田 恆存 訳『オセロー』

この福田恆存さんの訳は河出書房新社の『シェイクスピア6大名作』でも読めることができる。

これもどちらかといえば古い訳し方だと思う。古いが丸い?というか表現は全体的に優しい、イアーゴーは江戸っ子じゃないし(まだ引きずるか)先述の白水社のオセローより訳は古いが丸い分読みやすいのではないだろうか?個人差だが。

 

3,岩波文庫 菅 泰男 訳 『オセロウ』

この本は後ろのページに訳注がついているので読みやすいと思う!訳注だーいすき!あとこれは訳が所々美しいところがある。イアーゴーの「嫉妬は緑色の…」ところの訳なんかは新潮と五分五分で結構好みだ。何度も言うが個人的な感想だ。

 

4,研究社 大場 建治 訳 『オセロー』

新しい。とりあえず新しいぞ。なんか2004年とかに刊行したものを再編して解説を新しくつけて2010年に出したものらしい、訳も軽快で読みやすいと思う。「寝ぼけたキャシオーがデズデモーナとのことをこぼして挙句に接吻してきた」とかいう話をする場面があるがそこの訳がはちゃめちゃに好きだ。あと字が大きくて読みやすい(老人感)

 

5,汐文社 小田島 雄志 訳『オセロー』

お、小田島!?(蘇るこんこんちきの闇)とか思ったがこれを読んだ後に彼が東大卒でしかも紫綬褒章をとった方だと知りオタクは逆らえなくなった。人間、ネームバリューには勝てないのかもしれない(アホ)じゃあ何でこんこんちきとか出たんだよ…。

これはジュニア文学みたいな類で図書館だとティーンズコーナーみたいなところにあるような感じ、いや今の図書館ってアニメ雑誌置いてあったり西尾維新揃ってたりすごいな?性癖歪みますやんこんなの…話が脱線しがち…あとこの本だけ台本形式じゃない、普通の小説としてオセローを読むことができる。はじまりはイアーゴーの「やつの肋骨に下をこうグサっと」あたりの場面からなどちょいちょい変更もあったり。子供向けなので各登場人物の考えが結構分かりやすい、あと情景描写も分かりやすい、最後の場面なんかは結構核心をついてると思うが考察はもうちょっと後にしたい、まあロクなもんじゃないんだけど…。

 

番外 映画『オーソン・ウェルズのオセロ

あと機会があってLDの『オーソン・ウェルズのオセロ』という映画も見た。カンヌをとっただけあって視覚への説得力というか、映像の美でそのまま殴ってくるみたいな、あと音楽でも殴ってくる、結構脳の大事なところを殴ってくる。特に一番最初の葬列のシーンなんかは強烈なんじゃないだろうか?この作品自体は愛!悲劇!みたいな、というかあれだけ感情を高ぶらせたオセロが棺に入って只々作業的に葬式が行われていくのを最初に見るのだ…オセロと周りとの温度差が正直キッツイ…原作にはまあ無い描写なのですでにここでもう心臓が痛い…。

全編94分なので急ぎ足で話は進むのだがイアーゴとオセロの会話は結構濃く撮られている。いくつか例をあげるとオセローがイアーゴに証拠を見せろと責め立てるシーン、追い詰められたイアーゴの背後には海がある。足場もおぼつかないだろうイアーゴが不利に見えるのに着々と毒が回ってるのはオセロっていうのが波の激しさとかを見てすぐ分かるようになっている(と勝手に思っている)すごいなあ(語彙)あともう1個はイアーゴーが「寝たとか…慰んだとか…」とか言ってるシーン、木が組み重なってる山羊か羊小屋が蜘蛛の巣のようにすら見えてくる…着実にオセロは囚われているのを視覚で感じる… 。あとデズデモーナがはちゃめちゃに美人なのでもう見てほしい、ぜひ(語彙)

 

2018年オセローについて

今回そのオセローを私が今推しているグループのメンバーである、ジャニーズWEST神山智洋さんがイアーゴー役で出演する。2回観劇をしてみて思ったことをポロポロこぼしていこうと思う、そこにはなんかもう頭の良さとかはないし舞台に明るい方でもないので色々許して欲しい…と言うかここまで読んでる人間いるのか…?

どうやって触れていこう、大体話が悲しいので逃げるように衣装を見ていた節がある、イアーゴーの衣装から触れていこうかな…f:id:A_______00:20180923203915j:image

ザッと双眼鏡で確認した感じは画像の通りだ、ボタンとかは大体金色だった。大きいボタン(フロントとか)は柄が入ってたのだがなんの柄かまでは特定できず…袖に入っている黒い線も革製だと思う。ちなみにこの髪型、オーソン・ウェルズのオセロに出てくるイアーゴも似たような髪型をしていた。当時の流行りだったりするのだろうか?あとオタク的に死んだのは結婚指輪を彼は付けていないという…パンフでもつけていなかったのでまさかなと思って手を見ていたがそこには何もなかった…当時の結婚において指輪が重要視されてたのかとか色々考えなければいけないところはあるがオセロー、デズデモーナ 、エミリアがつけていたのに彼は付けていない点でオタクは…心がもやもやし…。

また話の中では重要な小道具のハンカチだが柄を見ていたら「さ…さくらんぼ?」となった。ある方からの指摘もあった通り今回の劇でイチゴの刺繍が施された、とまでは言及されていないので柄は意外となんでも良かったのだろう。イチゴもさくらんぼも花言葉はデズデモーナに送るにふさわしい意味だったし。

あと先述した映画での波のシーン、今回の劇では同じところでSEとして挿入されていた。感情と波は表現として結びつくところがあるんだろうなあ…こう、波を使うことで観劇者に登場人物の感情を想起させていく、そうすることで世界に知らない間に取り込まれていくような…?

あとここからはもうオタクの本当に訳わかんない考察みたいな、ああこう言う考え方の人間もいるんだなあみたいなね、優しい気持ちで読んでくれや…最後まで読んでくれる人がいることを祈って書いてるので…劇と原作をまじえて話ししてるのですごいわかりにくいと思うけど頑張って読んでほんと。

原作だとイアーゴーは最初に動機に触れておいて、終盤にさしかかるにつれてその動機が薄くなってくるような感じ?がしたんだよなあ…劇でも原作ほどじゃないけど似たものを感じて、機械?後半は物語を進めるための機械としての役割に徹してるのかなあ…と思ってて…それってイアーゴー自身にも毒が回ってきているってことなんだろうなって話(知り合いの)聞いて思ったけど、にしても終盤の薄さは凄くないか?なんか「カッとなってやった」みたいな、むしろそこには動機なんてなかったんじゃないかとすら思ってしまう…。あくまで原作の話なので今回の劇でそれを感じることはあまりなかったけどね、エミリア刺す時あんな未練タラタラに刺すんだもの…憎めないよなんか…。

で、まあそれはちょっと置いておいて考え進めていくと私的にはその当時では新しい?考え方の人間(イアーゴー)が古典的な考えの人間(オセロー)をぐちゃぐちゃにしていくような考え方もできるかなあ…みたいな?何故かっていうと「体の庭師は意志だ」っていうイアーゴー の台詞が引っかかって、多分俺は俺の意志で動く、みたいな意味なんだろうけどコレをわざわざ言う必要ってあるのか…?って思ったら、もしかしたら昔はこういう思想の人間が珍しかったかもしれない…?となると動機のなくなり加減が現代人っぽくも感じるわけで(そうなるとあんま違和感ないよね)
あとオセローはデズデモーナのことを話術で心をつかんだけどオセローもイアーゴーの話術で狂わされてるってのも面白いなあって思いましたね…語彙がねえ…
あとは…オセローは死ぬ間際にデズデモーナは最後まで自分のことを愛してたんだって分かって死んだからその点?だとオセローは死んだことでやっと自由になったのかなと…これは4番目に取り上げた小田島訳のオセローの最後を読んで思った…。

なんか原作読んでる時はオセローの主人公感が薄くて、というのも戯曲っぽい言い回しを彼だけあんましてなかったからだと思うんだけど(イアーゴーがやってたしね)だから死ぬ間際のセリフとか言い回しを聞いてやっと主人公だ!って思ったらなんか嬉しさみたいな場違いな感情が生まれてしまったんだけど…それまでイアーゴーがずっと話しをしてたのに主人公だとは一回も思わなかったからそこもシェイクスピアの技なのか…とか思うと勝手に鳥肌がね、たつよね(語彙)まあオセローっていう題名だしなあコイツ主人公なんだろうにとは頭の片隅にあったんだろうけど。あと個人的にああ、ってなったのはデズデモーナ が歌う柳の歌、オフィーリアじゃねえか!(例の絵画を思い出したオタク)って思ってハムレットも読んでしまった。ほんとそれだけです。

あとああってなったポイントは劇の一幕目の最後で地球儀を持つイアーゴー、完全にチャップリンの『独裁者』じゃん…所々にちらばるネタが凄い…。私は『街の灯』が好きです(関係ない)

なんか散々語彙なく風呂敷を広げてしまったのでそろそろ締めたいけど結局私が何を思ってるかっていうとこの話は愛のいき違い(勘違い)っていう方に重きをおいてるのかな…?みたいな、嫉妬って言葉もたくさん出てくるから嫉妬劇、みたいなイメージも強いけど私はオセローがデズデモーナ を愛しすぎたが故に起きた話なのかなともね…思った…ので今回の劇は…良かった…嫉妬だけで終わらせない姿勢というか今まで散々公演されてきたこの演目の他の可能性、現代らしさを探す役者陣、演出陣の心意気をひしひしと感じられて本当に感動した…ありがとう…

 

なので円盤待ってます!いや欲を丸出しにしてはいけない、いやでも欲しいわこんなの、手に入れたら神棚に飾るよもう(見ろよ)そんなこんなでダラダラ内容がないようとかいうクソ具合の割には4600字を突破しているこのクソ記事ももう書き終わりてえ!これで最後!ここまで読んだ人間いるのかこれ!!読んでくれてたらありがとう!!またね!!