はきだめ

クソガキのなんかの記録

愛しのアイリーン、感想

※2018年の9月14日公開でBlu-ray、DVDも既に発売されておりますが感想を書く上で話の内容(流れ)に触れることが多々、いやほとんどあると思います、ネタバレが苦手な人、また、ど素人が書く文章だと割り切れないで読めない方はこの記事は読むのをお勧めしません。

原作も全く読めていない(読んだらまた考えが変わりそうだ〜)ので原作至上主義の方も読むのはお控えください、自分でもかなりトンチンカンな考えをしてると思うので…。

 

 

観た。観たからこういう感想を書こうと思ってる訳だけども、その理由は最近になって『TEAM NACS』という演劇ユニットが気になったからだ。特に安田顕さんが気になっていて、彼が今まで出ている水曜どうでしょうや、ハナタレナックスも気になっていたのだが、追うには膨大な量あるということも分かったのでまずは映像作品から観ていこうという考えに至った…が…なんかそういう軽い考えで観るにはこの映画はキツかった。なんかそういう浅はかな考えも含めて私の感想(というかただの殴り書きだけども)を読んでいって欲しい…。

 

舞台は小さな小さな村だった、主人公の宍戸岩尾(安田顕)はパチンコ屋で働いている、四十代の男だ。見るからに女性とは無縁そうな感じ。両親がおり、父親の方はボケている。私の祖父もボケがひどくなっているのでここですでに他人事ではない感じがした。家は昔ながらでプライバシーもクソもヘッタクレもないような家だ。障子なんてあってもあんなのただの紙だしな…。

早くけえって来いって岩男が誕生日だったからなんだな、ゴリラの小さいキーホルダーをもらった良江とはデキていたんだろうか、いやデキてはいないんだろうな、勝手に向こうがしてきたけど性には抗えなかった感じがする。

息子の自慰を障子に小さい穴開けて覗いてる母親の場面で心が折れかけた、しょうもない場面だけどそれだけで田舎の閉鎖的な空間が分かるのがなんとも言えない…。

大事な大事な息子なんだろうな、分かるけどその過保護さは時として気持ち悪いんだよなあ…って思って見てた、この時はあんまり母親(ツル)に同情はできなかった。

岩男のために嫁さ見つけてやるってのは分かるけども…な…?

その後同じ職場で働く斎藤が愛子(子持ちでバツイチ?)とシたって聞いた(ここの説明も生々しくてゲエって感じだった)から自分も、みたいな感じで行くんだよな映画だと、その前にぬいぐるみくれたから好きかもみたいな描写はあったけど。フィリピンパブで飲んでたんだけどその時いたマリーンっていう女性を買ってセックスに持ち込もうとする、けど愛子のことが気になって虚しいわで結局せず。(多分愛子の外見も清さがあったから斎藤とシちゃうような女だとは思ってなかったんだろうなあ…幻滅って言うんだろうか)でもマリーンに勃起してたことを指摘されるあたりは岩男自身は結構欲望に忠実なんだろう。

愛子は愛情とセックスはきっと別で考えてる人間だから人妻なのに斎藤とも関係を持てるわけなんだよな  これも生々しくてフゥン…って感じ…。岩男は好きだからセックスしたいって思う人間なんだろうなあって感じ、結構純粋なのでは?

岩男は結局愛子には振られて、家に帰る。するとツルは「子持ちだのに職場の男何人にも身体許すような女宍戸家の敷居跨がせねえ!」って怒ってくる、いやほんと田舎のコミュニティ狭すぎて怖いわ。宍戸家のあたりを強調してくるあたりこの家を大事に大事に守ってきたんだろうなって感じた。二人の怒鳴り合いを見ていた父は「親も家も捨てらんねえような男に女は来ねえ!」ってボケが治ったみたいな発言。ツルは「岩男が出てってもええんか!」って返すのだがこのあまりにも子離れできないのはなんでだろうか?

翌朝岩男は姿を消した、消していた間に父がボケながらもコツコツ作っていた揺り椅子が完成した。なんでもツルとの新婚旅行で熱海に行った時の旅館にあった揺り椅子を思い出したらしい。夫婦、父の1番幸せな時だったのだろうか…作り終えた途端父は倒れて亡くなってしまった。

その後岩男は帰ってきた、自分の父親の葬式に。300万で買ったアイリーンを連れて。結婚と言えば聞こえはいいけど周りからは買ったようにしか見えないんだよな、アイリーンの母親にも仕送りをするっていう約束付きだ。実際にこういうフィリピン人とのお見合いツアーなんてのはあるらしい、岩男は愛を金で買ってきたのだ。

ツルの周りの大人もなんだそのアマはとかなんだ罵り、アイリーンを見たツルは猟銃をアイリーンに向ける、国籍が違うだけでこんな扱いなのか?ツルのアイリーンに対する目つきが本当にゴミを見るような目でひたすら辛かった…。

こんな状態じゃ家にはいられないのでホテル生活をする二人。途中で岩男がラブチェアーっていうのに乗ってたんだけど使い方がわからなくて調べたらなんでも高齢者のセックスを補助するために作られた機械なんだそうで…高齢者ばかりの田舎のラブホだからあるのかそれともラブホにこういうのが完備されてるかは…だが…。

ちなみにこの時点でまだ二人はセックスはしていない、アイリーンは初めては好きな人に捧げたい純粋な女だったからだ。だからこの時点では岩男のことは好きではなかったというのが分かる。だんだん好きになってるのではあろうけど、じゃないと辞書いつも持って日本語勉強したりはしないだろうし…。

少し時間が経ってツルの家に戻ってきた岩男とアイリーン。ツルはアイリーンが日本語の意味を分かっていないって知ると罵詈雑言を笑顔で浴びせる訳だけどもアイリーンも母国語で「そんな笑顔には騙されないからね」って返す。強かな女だとお見合いツアーの仲介人は言っていたけどこういうところなんだろうな。

その後塩崎というヤクザ(外国人売春婦の斡旋をしている)がツルと手を組んでアイリーンを引き離そうとする。

アイリーンを追い出すためならヤクザと関係持っても構わないツルの姿勢とかも理解し難かったんだよなあ~子供って親から巣立つのが普通な気がするし岩男からもそういうのは感じられるんだけどな  なにせツルが許さない、自分が今まで守ってきた家にフィリピン人連れてこられちゃあそりゃ頭にも来るけど…

頭にも来るって分かってるけど~!!!!分かるんだけども~!!理解したくねえ  無理や  私には無理、なんとなく察しがつくだけにこれ以上は理解したくない、同情が1番良くない…。

塩崎が来るまでの間、岩男は琴美って女と見合いさせられてた。なんとか二人を引き離そうっていうツルの考えなんだけど実に滑稽というか…?まあ車で送った時に寝た琴美に欲情して自慰をはじめちゃったことで琴美には逃げられるんだけども…。いやちょっと精のつくもの飲まされたからってそこまで自分の理性がコントロールできないことってある?

琴美にも逃げられて家に戻ってきたら塩崎がアイリーンを攫っていくところで、岩男はそれを追いかける、「アイリーン!!!」って叫ぶところは本当に妻を思う夫の姿だった、その前にもアイリーンの事を綺麗だな、って言ってやっとキスしたりと徐々に2人が近づいていくシーンはあったけどここはもうそれが表に爆発して出たような状態だ。

その後岩男は塩崎を殺し、アイリーンと2人でそれを埋める。いわば『秘密の共有』だ。言葉じゃ通じ合えない2人だったけどこれを機にやっと結ばれた感じがしたのだ、セックスもその直後にしたし…。

 

そう思った私がアホだった、岩男は塩崎の仲間に返り討ちされるんじゃないかとかそういう恐怖から愛子に「殺した」って言っちゃうんだよ、それで愛子は信じたかは分からないけど、愛子と関係を持ってしまった。セックスもしたし秘密だって話してしまった。それだけで岩男とアイリーンの世界が壊れちゃったと思うんだよ、だって言葉も通じない、この殺した記憶とその共有こそが2人のかすがいだった訳じゃないのか?琴美にも関係を迫ろうとする。この岩男という男はなんなんだろうか、アイリーンは寺の住職と普通に親睦を深めていただけなのにそれを疑うとか…アイリーンは秘密にしてたのにな!?

だから岩男が亡くなった時は正直なんとも思えなかった、安田顕が亡くなったと思えば悲しいがいま彼は岩男だ。でもここからの展開を見て浅はかだなあ自分とまた思わされる。この映画見て何回自分のことアホだと思ってるんだ…。

岩男が亡くなる前からコツコツ森の木に何かを彫っていて、なんだろうって思うんだけど 彼はずっとアイリーンって字を彫ってて、最初なんでこんな事してるんだろうって思ってたんだけど、前述した通り女の経験というか人の愛し方が40歳にもなって分からない男だったんだこの男…そうだ…なかなか言えなかっただけでちゃんとアイリーンのことを愛していたんだ…って思わされて、この後必死に岩男を探すツルのセリフで今まで抱いていた疑問が解消する。

「1番目と2番目の子が流れて3番目の子が2つで肺炎で逝っちまって、大願かなって授かったのが4番目の我が岩男だ。乳離悪くて8つまでおっぱいしゃぶって10までションベン垂れる子だ、気が弱くていっつもビクビクして要領悪いが地道で堅実だけが取り柄の男だ…。」

台詞そのまま持ってきたがこういう事だ、ツルの異常なまでの岩男に対する執着がここでようやくわかった。物語後もう10分とないんだけどな…。

そしてツルはアイリーンに姥捨を命じる。姥捨山とか聞いた事ないだろうか?労働力のない老人(近しいものとして親などが多い)を山に捨てる、みたいな昔の日本の風習だ。この時ツルは失語症?声が出なかったので身振り手振りでアイリーンに伝えて、そこからアイリーンは寺の住職に教えてもらった姥捨山の話を思い出す。

アイリーンは日本に来て沢山勉強していた、結局物語最後でも日本語はカタコトだったがソレが寧ろ良さを引き出している気がする。一方の岩男は「仕送り」のダガログ語しか話せなかった、いや、不器用なだけだったんだろあなたは、分かった、分かったから…。

雪の中ツルをおぶるアイリーン、結局捨てるのか、ツルとアイリーンは最後まで分かり合えなかったな(縁が切れるな)って思ってたらここで

アイリーンが「こどもいるど!お○んこいっぱいしたから、きっといるど!」って言うんだよ、だから帰ろうって、子はかすがいってよく言ったもんだよなあ…(何様?)

ツルもこれで岩男が完全に死んだわけではない、アイリーンの中にまだいるんだって思えたんだろうな…その後のツルの回想は辛かった、岩男を産んだ時の映像で、姑からはお前は使えねえ、なんていびられて、難産だからってなんだよって話だよなって現代なら思うけど昔はそうにはいかなかったんだろうなって…。

 

(まとめ???)

この映画はツルのキャラクターが非常に濃かった、超個人的には父方の祖母の話し方に似てて(祖母はもっと優しいけど!)なんか妙に近いんだよなあって思ってしまった。岩男とアイリーンのセックスを見て月経が来たツル(母親)とか外で突然自慰はじめたりとか、アイリーンにつけてあげた口紅をすぐ捨てる愛子とかな、本当に誰がそんなの見たい!?!?っていうくらいキツイものを見せてくる…個人的にそういう話は好きな部類の気持ち悪さなので大丈夫?だけども…。

ここまで超人的な展開はないんだろうけど、いや、本当にこういうことが明るみになってないだけで実際にもあるのでは?っていうもしものことを考えてしまう、そういうのがこの映画にはあるなあって思った…とにかく登場人物がいそうな感じなのがそれを助長させてくるんだよな…。

後個人的には岩男が愛子に殺した、って告白した時に愛子がセックスを受け入れてくれたのは男のもつ理想としての女性像?なんて言うんだろうなあ、「優しい女」っていう理想が結構表に出てる映画かな〜とも思った、アイリーンもしかり、マリーンも優しく岩男を包むような感じだったし、琴美だって逃げた後また岩男に会いに来ているのだ。失礼な言い方すると岩男にとって都合のいい感じがした。でもそれじゃ岩男は結局満たされてないからそこまで岩男を嫌だなって思わない。

ツルに大事に大事にされてきたから、岩男の中にも知らないうちに処女崇拝みたいな思考が宿っていたような気もする、そう言うところがこうエグくて少し気持ち悪いけど純愛って感じられたんだろうな…。

変な話親子愛だったり岩男からアイリーンへの愛だったり、色々な愛を感じる作品だった。前半が本当に気持ち悪かっただけに後半はとびきり美しいと思う。まだ観ていない人は是非観て欲しい…!

 

エ〜ン以上!感想ブツブツ書いてたら少しスッキリした、自分の中で考えがまとまった気がした〜!でも次は明るい映画見たいかな!曲がれ!スプーンでも借りようかな!?安田顕ちゃんと見るならもう一回下町ロケット見るべきか、悩みどころだ…。

 

 

オセロー色々

はじめに

本を読んだり映像を見たりすると自分の考えがたとえ間違っていても人に聞いてほしい時ってないだろうか?(考えに大小あれど間違いはないとも思うのだが)それだ(?)もう私は今がその時なのだ、オセローを観劇するにあたってもう本を読み直さないと劇は楽しめないかもしれないというオタク的考えのもと本を読み直したら波のように押し寄せる「わかって欲しい」欲には勝てなかった…。

とかとかそんな感じで観劇まで、そして観劇後の私ことコロッケのオセロー記、よかったら読んでいって欲しい。

で、まあオタクは自分が持ってるオセロー(紛失中だが出版社はそれとなく覚えている)以外も読みたくなって図書館をはしごし、オセローを数冊借り、読んでみたりとかな、したんだよ、オタクだからな…(?)ここではあまり内容に触れずにザッッとした感想をのせたい。

 

1,白水社 小田島 雄志 訳『シェイクスピア全集』

私が前にツイッター「こんこんちき」「とんま」を訳に使うってどういうことよ?みたいなツイートをしたのだがそれがこの本だ。訳は古いので少々理解するのが面倒だしマジでイアーゴーが「こんこんちき」って言ってるところが読める。江戸っ子じゃあないんだぞお前は!まあそういう点では面白いかもしれないが私は好きじゃない(クズ)あと文字が結構小さいので普段本読まない人には地味にきついかもしれない。水色のハードカバーは手に馴染むし本読んでる〜!って感じもするのでそこは良い(完全にアホの意見)見た目はいい感じ、あとリア王も入ってるしお得(?)

 

2,新潮文庫 福田 恆存 訳『オセロー』

この福田恆存さんの訳は河出書房新社の『シェイクスピア6大名作』でも読めることができる。

これもどちらかといえば古い訳し方だと思う。古いが丸い?というか表現は全体的に優しい、イアーゴーは江戸っ子じゃないし(まだ引きずるか)先述の白水社のオセローより訳は古いが丸い分読みやすいのではないだろうか?個人差だが。

 

3,岩波文庫 菅 泰男 訳 『オセロウ』

この本は後ろのページに訳注がついているので読みやすいと思う!訳注だーいすき!あとこれは訳が所々美しいところがある。イアーゴーの「嫉妬は緑色の…」ところの訳なんかは新潮と五分五分で結構好みだ。何度も言うが個人的な感想だ。

 

4,研究社 大場 建治 訳 『オセロー』

新しい。とりあえず新しいぞ。なんか2004年とかに刊行したものを再編して解説を新しくつけて2010年に出したものらしい、訳も軽快で読みやすいと思う。「寝ぼけたキャシオーがデズデモーナとのことをこぼして挙句に接吻してきた」とかいう話をする場面があるがそこの訳がはちゃめちゃに好きだ。あと字が大きくて読みやすい(老人感)

 

5,汐文社 小田島 雄志 訳『オセロー』

お、小田島!?(蘇るこんこんちきの闇)とか思ったがこれを読んだ後に彼が東大卒でしかも紫綬褒章をとった方だと知りオタクは逆らえなくなった。人間、ネームバリューには勝てないのかもしれない(アホ)じゃあ何でこんこんちきとか出たんだよ…。

これはジュニア文学みたいな類で図書館だとティーンズコーナーみたいなところにあるような感じ、いや今の図書館ってアニメ雑誌置いてあったり西尾維新揃ってたりすごいな?性癖歪みますやんこんなの…話が脱線しがち…あとこの本だけ台本形式じゃない、普通の小説としてオセローを読むことができる。はじまりはイアーゴーの「やつの肋骨に下をこうグサっと」あたりの場面からなどちょいちょい変更もあったり。子供向けなので各登場人物の考えが結構分かりやすい、あと情景描写も分かりやすい、最後の場面なんかは結構核心をついてると思うが考察はもうちょっと後にしたい、まあロクなもんじゃないんだけど…。

 

番外 映画『オーソン・ウェルズのオセロ

あと機会があってLDの『オーソン・ウェルズのオセロ』という映画も見た。カンヌをとっただけあって視覚への説得力というか、映像の美でそのまま殴ってくるみたいな、あと音楽でも殴ってくる、結構脳の大事なところを殴ってくる。特に一番最初の葬列のシーンなんかは強烈なんじゃないだろうか?この作品自体は愛!悲劇!みたいな、というかあれだけ感情を高ぶらせたオセロが棺に入って只々作業的に葬式が行われていくのを最初に見るのだ…オセロと周りとの温度差が正直キッツイ…原作にはまあ無い描写なのですでにここでもう心臓が痛い…。

全編94分なので急ぎ足で話は進むのだがイアーゴとオセロの会話は結構濃く撮られている。いくつか例をあげるとオセローがイアーゴに証拠を見せろと責め立てるシーン、追い詰められたイアーゴの背後には海がある。足場もおぼつかないだろうイアーゴが不利に見えるのに着々と毒が回ってるのはオセロっていうのが波の激しさとかを見てすぐ分かるようになっている(と勝手に思っている)すごいなあ(語彙)あともう1個はイアーゴーが「寝たとか…慰んだとか…」とか言ってるシーン、木が組み重なってる山羊か羊小屋が蜘蛛の巣のようにすら見えてくる…着実にオセロは囚われているのを視覚で感じる… 。あとデズデモーナがはちゃめちゃに美人なのでもう見てほしい、ぜひ(語彙)

 

2018年オセローについて

今回そのオセローを私が今推しているグループのメンバーである、ジャニーズWEST神山智洋さんがイアーゴー役で出演する。2回観劇をしてみて思ったことをポロポロこぼしていこうと思う、そこにはなんかもう頭の良さとかはないし舞台に明るい方でもないので色々許して欲しい…と言うかここまで読んでる人間いるのか…?

どうやって触れていこう、大体話が悲しいので逃げるように衣装を見ていた節がある、イアーゴーの衣装から触れていこうかな…f:id:A_______00:20180923203915j:image

ザッと双眼鏡で確認した感じは画像の通りだ、ボタンとかは大体金色だった。大きいボタン(フロントとか)は柄が入ってたのだがなんの柄かまでは特定できず…袖に入っている黒い線も革製だと思う。ちなみにこの髪型、オーソン・ウェルズのオセロに出てくるイアーゴも似たような髪型をしていた。当時の流行りだったりするのだろうか?あとオタク的に死んだのは結婚指輪を彼は付けていないという…パンフでもつけていなかったのでまさかなと思って手を見ていたがそこには何もなかった…当時の結婚において指輪が重要視されてたのかとか色々考えなければいけないところはあるがオセロー、デズデモーナ 、エミリアがつけていたのに彼は付けていない点でオタクは…心がもやもやし…。

また話の中では重要な小道具のハンカチだが柄を見ていたら「さ…さくらんぼ?」となった。ある方からの指摘もあった通り今回の劇でイチゴの刺繍が施された、とまでは言及されていないので柄は意外となんでも良かったのだろう。イチゴもさくらんぼも花言葉はデズデモーナに送るにふさわしい意味だったし。

あと先述した映画での波のシーン、今回の劇では同じところでSEとして挿入されていた。感情と波は表現として結びつくところがあるんだろうなあ…こう、波を使うことで観劇者に登場人物の感情を想起させていく、そうすることで世界に知らない間に取り込まれていくような…?

あとここからはもうオタクの本当に訳わかんない考察みたいな、ああこう言う考え方の人間もいるんだなあみたいなね、優しい気持ちで読んでくれや…最後まで読んでくれる人がいることを祈って書いてるので…劇と原作をまじえて話ししてるのですごいわかりにくいと思うけど頑張って読んでほんと。

原作だとイアーゴーは最初に動機に触れておいて、終盤にさしかかるにつれてその動機が薄くなってくるような感じ?がしたんだよなあ…劇でも原作ほどじゃないけど似たものを感じて、機械?後半は物語を進めるための機械としての役割に徹してるのかなあ…と思ってて…それってイアーゴー自身にも毒が回ってきているってことなんだろうなって話(知り合いの)聞いて思ったけど、にしても終盤の薄さは凄くないか?なんか「カッとなってやった」みたいな、むしろそこには動機なんてなかったんじゃないかとすら思ってしまう…。あくまで原作の話なので今回の劇でそれを感じることはあまりなかったけどね、エミリア刺す時あんな未練タラタラに刺すんだもの…憎めないよなんか…。

で、まあそれはちょっと置いておいて考え進めていくと私的にはその当時では新しい?考え方の人間(イアーゴー)が古典的な考えの人間(オセロー)をぐちゃぐちゃにしていくような考え方もできるかなあ…みたいな?何故かっていうと「体の庭師は意志だ」っていうイアーゴー の台詞が引っかかって、多分俺は俺の意志で動く、みたいな意味なんだろうけどコレをわざわざ言う必要ってあるのか…?って思ったら、もしかしたら昔はこういう思想の人間が珍しかったかもしれない…?となると動機のなくなり加減が現代人っぽくも感じるわけで(そうなるとあんま違和感ないよね)
あとオセローはデズデモーナのことを話術で心をつかんだけどオセローもイアーゴーの話術で狂わされてるってのも面白いなあって思いましたね…語彙がねえ…
あとは…オセローは死ぬ間際にデズデモーナは最後まで自分のことを愛してたんだって分かって死んだからその点?だとオセローは死んだことでやっと自由になったのかなと…これは4番目に取り上げた小田島訳のオセローの最後を読んで思った…。

なんか原作読んでる時はオセローの主人公感が薄くて、というのも戯曲っぽい言い回しを彼だけあんましてなかったからだと思うんだけど(イアーゴーがやってたしね)だから死ぬ間際のセリフとか言い回しを聞いてやっと主人公だ!って思ったらなんか嬉しさみたいな場違いな感情が生まれてしまったんだけど…それまでイアーゴーがずっと話しをしてたのに主人公だとは一回も思わなかったからそこもシェイクスピアの技なのか…とか思うと勝手に鳥肌がね、たつよね(語彙)まあオセローっていう題名だしなあコイツ主人公なんだろうにとは頭の片隅にあったんだろうけど。あと個人的にああ、ってなったのはデズデモーナ が歌う柳の歌、オフィーリアじゃねえか!(例の絵画を思い出したオタク)って思ってハムレットも読んでしまった。ほんとそれだけです。

あとああってなったポイントは劇の一幕目の最後で地球儀を持つイアーゴー、完全にチャップリンの『独裁者』じゃん…所々にちらばるネタが凄い…。私は『街の灯』が好きです(関係ない)

なんか散々語彙なく風呂敷を広げてしまったのでそろそろ締めたいけど結局私が何を思ってるかっていうとこの話は愛のいき違い(勘違い)っていう方に重きをおいてるのかな…?みたいな、嫉妬って言葉もたくさん出てくるから嫉妬劇、みたいなイメージも強いけど私はオセローがデズデモーナ を愛しすぎたが故に起きた話なのかなともね…思った…ので今回の劇は…良かった…嫉妬だけで終わらせない姿勢というか今まで散々公演されてきたこの演目の他の可能性、現代らしさを探す役者陣、演出陣の心意気をひしひしと感じられて本当に感動した…ありがとう…

 

なので円盤待ってます!いや欲を丸出しにしてはいけない、いやでも欲しいわこんなの、手に入れたら神棚に飾るよもう(見ろよ)そんなこんなでダラダラ内容がないようとかいうクソ具合の割には4600字を突破しているこのクソ記事ももう書き終わりてえ!これで最後!ここまで読んだ人間いるのかこれ!!読んでくれてたらありがとう!!またね!!

 

 

 

 

 

 

 

この前映画を観た

コイツ足で文章打ってるのかなって感じなので許してほしい本当に、ただの書き置きみたいなもんだと思って。 

…やっと観れたー!!小瀧望さんの初主演作品!初主演っていうのが感慨深いね〜初めてなんて一回しか味わえないので…と思って観に行った、話は面白かった、映画館まで行って映画を観たのが2016年のミケランジェロプロジェクト?だから2年前?ひさびさにお金払って観たものとしては結構というか贔屓目でみても良かった。余裕があったら原作読んでみたかったんだけどなあ今からでも読もうかなとは思えるかな…むしろ原作との比較をしたいクソオタクなのでいつかはやると思う。いつか。 
話も反吐が出そうなゲロ甘ストーリーかと思ってたら意外とあっさりめ(ガチもんの恋愛映画に耐性がないのですごい助かった)、糸真役の黒島さんの演技も好きだった、笑い声が低い感じがドツボにきてる… 
あと例の「なんか面白えじゃん」そこで使うのかよ〜って個人的には笑っちゃうポイントだったんだけど周りの人は真剣に観ていたので頑張って堪えた(そう…) 
あとなんだろう、あとは…和央くんの援助?弦くんとお金の話をしてたときのくだりが完全な理解に至れなかったんだけどあれって和央くんの母親が糸真ちゃんの父親のプロポーズをすんなり受け入れたのは金目当てだったからとかそういう…?なんかそこらへんの描写がちょっと薄かった気がしてモヤっとした…アホかな…。 
あと森で遭難しちゃった時にぐるぐるめくられるカメラロールの中身…糸真ちゃんはこれを弦くんに見せたいんだろうなあってすごいギュンときた(語彙) 
なんか糸真ちゃんは夏のキャンプの写真も捨てて弦くんとは一回の区切りをつけた(形だけ)のかなあって思ったりもしたけど弦くんは最初の冬の写真をとっておいてあるっていう…無自覚系なのかな…? 
あとは失礼だけど弦くんが大学全落ちしたところは純粋にざまあみろって思っ…弦くん好きな方とか小瀧くん好きな方本当に申し訳ない…でも全落ちしたわ〜っていう軽い言い方はなんか今の子っぽくて好きだった 
あとはメチャクチャ文句になるのでそういうの見たくない人はページを閉じようね。 

全編通して色が少しチープ…?いや高校生の物語にお高くまとまった感を出してもそれは違うってなるんだけど色が結構軽い感じ、役者の肌の色だったり、衣装だったり?役者が良かっただけに外的要因がちょっとちぐはぐ感あって個人的に観ててしんどかった、色が軽いと結構重要なシーンでも軽く見えたりとかそういう弊害がありそうなのでそこが違う気がするなあって思った。肌色が浅黒い感じの加工に仕上がってしまったのか雪景色との相性もあまりいいとは思えなかったかなあ、あくまでの個人の感想なのでこいつアホだなあって感じで見逃してね。 
あと小瀧くんの演技、「そこは和央の席だ」みたいな第一声でちょっとズコーってなった、結構一本調子な演技だったなあ…小心者とは言わないけど根が真面目でちょっとビビりなのかなって思う感じの演技だった、もみ消して冬にも尾関役として出てたわけだけど尾関自身が堅物(?)でちょっと変わった役だったから文節ごとで切るような台詞の言い方でも違和感がなかったんだろうけど高校生だったので…結構情緒にあふれた高校生役だったのでちょっとミスマッチだった感が否めなくもない…でも台詞はめちゃくちゃ聞き、聴き取りやすい。私的には本人からちゃんとハキハキ聞き取りやすいように台詞を言おうっていう意思を感じ取れたのでそこが良かったかなあ、あと弦自身の母親と口論するシーンでの怒鳴り(?)声もよく通る声で迫力もあって個人的にいいなって思った、よく怒鳴る役とか結構向いてそう…!ぜひ見てみたいって感じ(これはクソオタクの戯言) 
ここまで好き勝手書いたけど小瀧望初←主演作品、ってのはもうこのプリンシパルしかないわけなので大画面で活躍を拝めて本当に感動しているのは確か。もっと色んな役を見てみたいなあって思わされる作品だった。次も楽しみに、にわかながら応援してます。